2013年10月23日

読売新聞連載小説「怒り」読後


考えるのはもうやめた、といいつつも、やはりその後もいろいろと考えていました。

そしたら、今朝の朝刊に作家の記事が掲載されていました。

「連載を終えて」というタイトルのその内容は、

『「怒る」ことを無意識に恐れている三組の人たちの物語を描こうとしたけれど、

結局そんな彼らを最後に奮い立たせて終わるような小説はどうしても書けなかった。

ただ、そんな彼らのことを信じ、誇りに思っている誰かがいることを彼らにわかってもらえればと思いながら書き続けてきた。

一年という長い期間、迷いながら書き続けてきた・・・』というものでした。

「最後に奮い立たせて終わるような」とは、どんな終わり方だったんでしょうね?


エピソードがいくつもあって、知りたかった結末には触れられずに終わり、

それらが魅力的だっただけに、よけいに消化不良感が募りますよね。

連載が始った頃、重くて暗い内容に、とてもブログになど書けない、と感じ、

話しがあちこちに飛び、捉えにくかったこともあり、

早々にあきらめ、読んだ後はすぐに捨ててしまっていました、半年分くらい、

それでも、

毎朝読んでいるうちに、あれは、こういうことだったのかと分かって、面白くなって、朝刊が待ち遠しくなってきました。


捨ててしまって、あやふやな記憶なのに、今も思い出す場面があります。

ひとつは、

乗車する電車が間もなく発車しようとしているのに、お菓子を買わなきゃと、大人なのか幼いのかわからない、

でも、楽しげな愛子に対し、その場の空気としては重く、なぜか気乗りしない感じの洋平父娘のシーン、


もうひとつは、


泉の事件、

襲われた後、立ち上がろうとするも、自分の身体がバラバラになってしまったようで、それらを必死に元に戻そうとする描写、


もう読み返すことは出来ないのですが、この二つだけでも、


愛子のダメ恋愛の遍歴とその原因は何なのか知りたくなりますし、


こんな不幸で理不尽な目にあってしまった、泉や辰哉の行く末が気にならないはずがないじゃないですか。。。。


こういう終わり方をして、読者がどう反応するか、作者はわかっていたと思います。

良くも悪くも、印象に残る終わり方でしたよね。

でも、私は作者を評価しようと思って読んでいたわけではなく、

ただ、ただ一読者として夢中になって読んでいただけです。

2ちゃんねるでは、「森村誠一」を比較にあげている人もいましたが、

私もどこかで、それぞれの点が線で結ばれることを期待して読んでいたのだと思います。

線にはなってくれませんでしたが、エピソードのひとつひとつは、とても魅力的でした。


最終回で、泉がロッカーに貼った、波留間島の海の風景の挿絵をなぜカラーにしてくれなかったのかと、グチりましたが、

今となっては、挿絵は無くても良かった、とすら思います。


いつか戻りたい・・・・でも決して戻れない、あの島に戻りたい。


挿絵はなくてもその風景は浮かんできます、


そして、何度読み返しても、切なくて、ぐっときます。


毎朝ストーリーだけを追いかけていた私には、作者の名前すら目に入らず、


最終回にしてやっと、その名前を検索し、数ある作品の中に「悪人」というタイトルを見つけました。


本は読んだことがなく、映画のTV放送時もざっくりと見ただけでしたが、


「悪人」というテーマもあってか、全体的に暗いトーンで、


最後のシーンは、海の、岬にあるような灯台の寒々とした風景だったことを思い出しました、


「怒り」との共通項は「海」?


その海が、たとえ、狭いロッカーに貼られた雑誌の切り抜きでも、


鉛のように重く暗い海ではなく、晴れ渡り、どこまでも青く風が吹き渡るような、波留間の海であることに救いがある、


これからの泉や辰哉の人生もきっとそうなる、と信じて自分の中で(了)とすることにします。




posted by ふ〜みん at 00:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読売連載「怒り」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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