2018年11月07日

【忍者月輪】なぜこの歴史小説が好きなのか

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砦の中で弟子(三味田助七)が戻るのを待つ伝兵衛。これが時代劇なら天井からその弟子がさっと飛び降り現れて、ただいま参上!みたいな場面を想像してしまうけど、違う。超リアルな描写になっている。

その砦はものすごく厳重な造りになっていて、まず外側は茨が植えてあり、次に幅5.5mの濠をめぐらせ、更に高い壁守られている、その弟子がどうやって砦内の屋敷まで到達するかというと、

『助七は用心ぶかく、遠回りしつつ濠際へ近づいてきて、茨のうえを猿のように跳躍して越え、背負っていた皮袋にふいごで風をふきこみ、ふらませて濠水に浮かべ、そのうえに腹這いになり、両手で水を掻き、こちらの岸につく。
母屋の白壁の下草に隠れている鍵穴に、サクという細長い金具をさしこみ、ひねったあと、くぐり戸を押し、家内へ入った』

私なりの頭に浮かぶ映像で解説すると、忍者だから軽々とその茨を飛び越え、携行してる空気入れみたいなもので、これまた携行してる浮き輪を膨らませる。それを濠に浮かせ、その上に腹這いになって手足を動かして水を掻いて前進(あめんぼうみたいかもね)、壁にある草に隠れた入り口の扉のカギ穴に、針金みたいな道具をぐりぐりして開けて入った、ということのようだ。

時代劇で忍者が城に忍び込む時、口に竹筒みたいなのをくわえて濠の水の中を渡るシーンがあるでしょ、あれ、日本泳法でもあるらしいよ、先輩が言っていた。
でも、この浮き輪を使うやり方のほうが現実味があるし合理的だよね、だって体は濡れないほうが体温奪われないし、後々の動きがスムーズにできるもの。

当然だけど電話とかない時代だから、いつ弟子が戻るのか普通はわからないよね。
だけど、
伝兵衛には弟子が砦に向かって戻ってくる様子が映像になって見えていたのよ、少なくとも約200m手前から(笑)

弟子は周囲に注意を払いながら屋敷に向かっていたんだけど、3人の男たちが弟子の跡をつけていた、伝兵衛にはそれも見えていて、弟子ひとりで片付けられるだろうけど、弓で追い払うようにもう一人の弟子、長原東右衛門に命じるのね。

でも優秀な弟子がその3人の尾行を撒いた場面が伝兵衛に見えたので取りやめ、弟子は濠を浮き輪で渡って無事伝兵衛の元に戻ってきたというわけ。

何年も前に読んだこの連載を今また読みたいと思うのはその時ちゃんと理解して読めてなかったということと、やっぱり歴史物が好きというのがある。

この小説は信長の時代の話だけど主人公は忍者で、特殊な能力を備えているけど激しいチャンバラやメリハリのあるワクワクした展開があるわけでもない。

でも、実在した忍者はこうだったんだろうな、これは実際に当時やっていたことなんだろうなと思わせる描写が好きというか、弟子が濠を渡る場面もそうだけど、家内に入ってからも

『土間で頭巾と合羽をはずし、鎖脚絆と鎖足袋、濡れた山袴をぬいで着替えをすませ伝兵衛たちのいる座敷へゆく』とあるのね、

そうすると山袴ってどんなんだろう?って想像する。
少なくともあの黒装束ではないな、一般人に紛れた格好で、でも内側には鎖脚絆と鎖足袋を身に着けていたのかなとか。
黒装束は時代劇の中だけで、あんな恰好は実際してなかったんじゃないかとか、いろいろ、いろいろ、頭に浮かんでくる、そういうのが好きなんだね(笑)

作者は何を言いたいのかとかそういうのほとんど考えない。素直に読む





posted by ふ〜みん at 23:58 | Comment(0) | 読売連載「忍者月輪」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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