2018年11月06日

【忍者月輪】の冒頭シーンを読んで

C8E69E78-E6C2-4BE9-BF5A-4F76AB936A9F.jpg
読売新聞をまだとっていた頃、連載で「忍者月輪」というのを読んでいたことがある。歴史ものは好きだけれど、登場人物の多さと方言の難解さですぐに挫折、途中から読み続けたものの、肝心な冒頭の場面を理解しないまま新聞を捨ててしまったので、いつか読みたいと思っていた。

先週その中古本を入手、始まりがやっとわかってきた。面白いと思った場面をちょっと書いてみようかな、連載は一話、一話、その日に読める分だけだったけど、これはもう本になってるから繰り返し読める。でもやっぱり難しいから途中で挫折するかも。

簡単にさくっとあらすじを追いながら、連載を読んでいた時の記憶も交えながら興味を持ったところを想像力を膨らませて書いてみよう。

歴史はロ・マ・ンだから(笑)

※いろんな難しい名前や呼び方は私なりに略して書くよ



時代は織田信長の頃、場所は大阪辺り、主人公の忍者「萱生伝兵衛」(かよでんべえ)は、豪雨と雷鳴轟くある夜、砦とする屋敷の中で弟子が戻ってくるのを待っていた。

その理由はね、

これより過去に、祖父の代から伝兵衛たち一家は、十市遠忠という豪族に仕えていたんだけど、その後を継いだ息子遠勝が無能で松永久秀という豪族にある日城を攻められ、落城させられてしまう。

伝兵衛の父が遠勝に幾度となく、敵が攻めてくるかもしれないと進言しても対策をせず、起こるべくして起こった事態だった。

敵が攻めてきた時、伝兵衛は16歳、父と共に城で戦った、その様子は

『広大な城郭であったが、数千の兵が入り乱れて斬り、殴り、突き、組うてば、あげた腕が下せないまでに敵味方がこみあった。体の傷口から吹き出す血が床に血の手形、足形、具足の形をぬりつけ、動く男たちは自分も敵も血達磨にようになっているので、腕や肩をつかみ、抱えこもうとしても滑ってどうにもならない。怒号をはなつ声もかれて、歯をむきだし眼を見張り、必死の息をあえがせた』とある、

もう映像が頭に浮かんでくる。そういう凄惨な戦場で敵を倒しながら伝兵衛父子は城を脱出したのだった。

遠勝を見限った伝兵衛たちは自分たちの家に戻った。忍者だから侍ほど主君に忠義を尽くすという必要はなかったのかもね。

命拾いした伝兵衛父子、そもそもダメ殿だったから仕方ないし、主を失って生活が立ち行かなくなるわけじゃないから良かったはずなんだけど伝兵衛の胸には敵の松永に対する憎しみ、許しがたい気持ちがあったんだよね、当然だけど。

この松永はイヤな奴で、こうやって手柄を立てて出世していく一方で上司の言うことを聞かず、自分勝手にいいように振る舞っていたんだけど、その上の上は織田信長でしょ、さすがに逆らえないから従ったフリをしていた。

信長はこの松永の狡猾な性格は見抜いていて、でも成果はそれなりにあげるからその地位を与えていたのよ。いざとなればポイしようと思っていたから。

それに気づいた松永は、信長と敵対してる毛利元就や上杉謙信、石山本願寺側と密書のやりとりを始めた。信長の配下なのに二股かけているという、しかもバレてもかまわないという大胆さで。

それで最初に戻るけどこの松永の二股を知った伝兵衛が、その密書を奪うように弟子に命じて、その帰りを待っていた、それが冒頭の雷鳴轟く夜の場面だった。



だいたいはわかるんだけど、でもよーく読まないと理解できず、ページが進まない。伝兵衛はこの小説の中では超人的な能力を備えた忍者として描かれてる一方、すごくリアルな描写もあって、ドキっとする。

例えば城を攻められ敵を殺しながら伝兵衛父子が逃げる場面の描写が

『伝兵衛は敵の腋下、喉、両眼、股をめがけ、幾度か鎧通しを突っ込み、すくなくとも三人の息の根をとめた』とあって、

生きるか死ぬかの場面では確実に急所を狙う、残酷っていうかドラマや映画の合戦場面とは違ってこれは実際やってたことを書いているんだとわかる。

物語の後半、蕨手が上杉謙信を暗殺するんだけど、その手段がトイレに忍び込んで、用を足しに来た謙信の股を槍で刺した、だったように記憶している。

現実ではそんなことは出来ないにしても、確実に殺すというのは接近してやるしかなく、歴史の教科書で、切腹とか磔とか文字ではたったそれだけでも、すごく残酷というか惨いというか、

今の秩序ある時代に生まれて良かったなと思う。

伝兵衛たちの時代じゃ、力のある者はいつ寝首をかき切られるかとオチオチ寝てもいられないし、末端の農民たちは食べるものもろくにない苦しい生活な上、戦禍に巻き込まれる。。。生きるって何?だよね。

何かで読んだ記憶があるんだけど、時代劇とかの合戦で一番下の足軽みたいな軽装な男たちが槍とか持ってワーっと戦う場面をよく見るけど、
戦に参加してるのは城に仕える侍たちだけじゃなく、農民たちもかき集められて臨時兵士になって戦わされていたらしいよ、

だから戦ってうのは農閑期、農作業のない季節に起こっていたらしい。年貢を納めるために春から秋まで田畑で働いて、収穫が終わって戦が始まれば徴用され戦わされる、踏んだり蹴ったりだよね。

そういう素人農民兵士の徴用はやめて、給料やるからプロの戦士にならない?の募集をしたのが信長らしいよ。だから信長部隊は季節を問わず一年中戦が出来た、訓練されてるから素人よりは強かっただろうし、組織的にガンガン動けたのかもしれないね。



この「忍者月輪」が難しいのは、ひとつには人物の呼び方の多さだ、豊臣秀吉が関白秀吉であったように、松永秀久もその地位によって松永弾正という呼び名であったりする。

ヒラの田中一郎が田中課長、田中部長、田中取締役に出世するくらいなら理解しやすいが、当時の国の組織、役職、肩書名を理解するのは超難解だよ、

しかも、

伝兵衛は忍者と言い切れるけど、その主だった十市遠勝を豪族と言っていいのか大名と言っていいのか、その主に仕える人たちを侍と言うのは正しいのかわからない。でもそこにこだわって正確に理解しようとするとそれだけでもう訳が分からなくなるので、私なりの解釈で読み、書いた次第(笑)

ちなみに、伝兵衛が帰りを待ってる弟子の名前は三味田助七(さんまいでんすけしち)、さんまいでん、までが苗字、難しいけどインパクトありすぎて忘れられない




posted by ふ〜みん at 22:31 | Comment(0) | 読売連載「忍者月輪」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。